でも1996年ジョブスは、「よい芸術家は模写し偉大な芸術家は盗む」というピカソの言葉を引用しながら、「確かに私たちは、臆することなく偉大なアイデアを盗んできました」と語っていた。そのことを「“偉大な芸術家は盗むが、私からは盗むな”ということですね」と皮肉ってる人がいる。
『Everything is a Remix』という動画シリーズの製作者、カービー・ファーガソンだ。彼がTEDで講演している様子が、こちらのサイトで日本語訳で見ることができます。
"everything is a remix."
まあ難しいことはともかく、こちらの動画がいちばん理解しやすいかもしれません。
『Everything is a Remix』シリーズで、Kill Billを取り上げています。ブルース・リーものや黒澤映画は当然ですが、ホラー・スプラッタものも出てきますのでご注意ください。
ブルース・リーの『死亡遊戯』を知っている人なら誰でもピンとくるし、タランティーノの、ブルース・リーへのリスペクトとかオマージュだと解釈しますよね。そういう比較が多いと思いますが、これは単に映像的なアイデアをパクった? というところもあります。
反対にいくらなんでもこのシーンは、どうしたってこういうアングルになるよね。わざわざ意図的に引用したりしなくたって、お約束とか定番とか、わざわざRemixだと取り上げる必要もないだろうよというところもあります。
カービー・ファーガソン氏は、「オリジナルなものは一つもない」と言います。すべてはRemixで、コピー、変形、つなぎあわせてるんだと。
そうなのかなぁ、著作権や特許などの法的な解釈は別にして、意図的なRemixではない創造ってないんでしょうか。
少なくとも、私は意図的にパクったことはありません(笑) 撮影を「こういうトーンにしよう」というようなことは、日常的にあります。
逆にパクられたことなら、いくらでもあります。大きなところでは映画にまでなったネタもありますし、文化庁で表彰されてるものまであります。前者は完全に証拠が残っているはずですが、後者はしゃべっただけですので証明のしようがありません。個人的に聞いていただければ、いくらでもしゃべります(笑)
会社では「なんで企画書で出さないんだ」と怒られました。だって予算がかかり過ぎるし、実現するとは思ってなかったんです。それにうちでやったからといって、賞がとれる内容になったかどうか(笑)
アイデアを考える時に、脳の中でなにが行なわれているかといえば、そりゃあ間違いなくRemixがあるんでしょう。ただ無限にあるサンプリングネタの中からどの素材を持ってきてRemixするかは、順列組み合わせではないでしょう。
『Everything is a Remix』シリーズで語られていることは面白いと思いますが、タランティーノが映画オタクで、しかも日本映画オタクじゃなかったら、Kill Billは出来ていないでしょう。さらにタランティーノはグロ好きだから、こんな映画になったんでしょうね。
『Everything is a Remix』はそんな趣旨ではありませんが、Remixがクリエイティブの方法だと強調すると、まるで「先行企業をベンチマークして、徹底してパクれば、同等の事業は出来上がる」みたいな単純な算数のように思われてしまうのではないかという懸念があります。
私はかつて奥村靫正さんに日本画の方法論をお聞きした時に、衝撃を受けました。ここの真ん中あたりの「昔の日本画家は、家が火事になると失業すると言われていた。」というくだりです。
この方法論は、私にはとてもしっくりきます。最終的には画力がないと、日本画は描けないということですね。
奥村靫正さんをインタビューしてきた松岡正剛の千夜千冊「千の顔をもつ英雄」
あれ? ってことは、意図的にパクってもクリエイティブ?
最終的な“画力”も必要だし、たぶんどれだけ好きかオタクか、入れ込めるか、みたいなことも関係ありそうですね。ビミョーだ(笑)
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