2014年10月1日水曜日

過去とつながるか、未来につながるか


『ツイッターとフェイスブック そしてホリエモンの時代は終わった』という本の価値


「うめけん」さんの名前を久々に見て、釣りっぽいあざといタイトルだなあと思いながらも、この本を買ったのは、もう夏前。
私は意外性がなにもなく、読み飛ばしていました。それでもデジタル・ネイティブの代表のような「うめけん」さんが、こんな内容を書いてくれたから、そうでしょう、やっぱりねと確認できる。



ところがこの本は話題にもなっていないし、書評などの評判もいいとは言えなさそう。
Amazonの商品説明を転載すると

SNSの時代は、もう終わった! そして、「ニューアナログ」の時代が来た!!
流行語大賞「~なう」を受賞し、高校時代に起業した「うめけん」は、フォロワーが3万人を超えたとき、ツイッターをやめた。人間が上手に「つながる」のは、LINEのように10人前後が限界であるからだ。そして、この真理から導き出されたのが「マツコ」というビジネス・モデル。これが日本のビジネスに激変をもたらす。
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SNSの時代は、もう終わったのか


うめけんさん、ツイッターやめてたんだ。もったいないと言えば、もったいないです。フォロワーが3万人もいれば強力なインフルエンサーなので、ご自分の本の宣伝だって有利に展開できるはず。続けていれば、「〜なう」を作り、ソフトバンクの孫正義社長に三番目にフォローされたツイッターのカリスマ高校生としてのイメージで、しばらくはマスコミやSNSやIT業界でも有利に仕事ができるのに。

だけどこの人にとっては、そんなことは過去のことなんでしょう。どうでもいい終わったこと。仕事上で、肩書き的に活用はしても。

ツイッターやフェイスブックが終わったんじゃなくて、モテはやされる時代は終わったんです。電話とかコンビニとか電車とかバスとかと同じで、ありふれたもの。特別なものじゃないし、という意味なのでしょう。コンピュータは、紙のような存在になると書かれているぐらいですし。


「ホリエモンの時代が終わった」も同じ。ふたりは、カラオケ友達なんだそうです。要するにライブドア事件前と後とでは、違いますよ。ホリエモンは、かつてのホリエモンではありませんということが趣旨だと思います。
私もこのところの堀江さんは、細かなことをコツコツとやられてるよなぁ、という印象をもっています。メルマガと連動したYoutubeのホリエモンチャンネルだって、実際にやることを想像するとかなりメンドクサそうですよ。チマチマと手間のかかることは嫌いだ、みたいな人だと思いますが、地道な努力を重ねられていますよね。

『ツイッターとフェイスブック そしてホリエモンの時代は終わった』という本は、うめけんさんの宣伝本ではありますけど、人気のSNSだってそのままあるわけじゃないよというニュアンスを、うめけん、ホリエモンという時代の寵児を題材に教えてくれているのだと思います。
「うめけん」の名前を見かけなくなったのも、時代が消費していくスピードは、それほど速いということですしね。


ツイッターが「なう」なら、フェイスブックは「過去」


 以前から私は、フェイスブックって過去とつながるものだよなと思っています。
プロフィールや友だち候補が出てくる仕組みもそうですが、好きな映画や音楽、テレビ番組などに[いいね!]させるのも、ほとんどが過去のこと。
個人として、そんなに過去とつながりたいかな、過去を表現したいかなと思ってしまいます。

個人が「あの頃、好きでした」と言われたら、そりゃあうれしいでしょう。
でも企業アカウントだと「昔、好きでした」とコメントされると、「今は違うのか!」と突っ込みたくなりますよね(笑)

もし過去とつながるアルゴリズムが強いなら、フェイスブックの寿命は短い気がします。多くの人がどう使うかで、左右されるのは当然ですけれども。


こんなも本があります。ITジャーナリストの佐々木俊尚さんが書かれた『自分でつくるセーフティネット 〜生存戦略としてのIT入門〜』という大きなテーマです。




ほとんど表紙で語られていますのであまり書きませんが、SNSはフェイスブック主体で、趣旨のポイントは「善い人が信頼されるネット人格の時代」というところ。

『ツイッターとフェイスブック そしてホリエモンの時代は終わった』では、「上手につながれるのは10人前後。これからは、ニューアナログの時代だ」と言っています。
『自分でつくるセーフティネット』では、ネット人格ですから、ほぼ真逆の発想です。さあ、どっちが的確に未来を見通しているのでしょう。



方程式や、あらゆる仕組みも長続きしない


『自分でつくるセーフティネット』には、こんなことが書かれています。
これこそが、すべてが丸見えになる総透明社会。悪意も嘲笑も、全部丸見えの透明になっちゃうんですね。
 たとえばあなたの近くにいる人、たとえば会社の上司が、仕事場では真面目で通っている人なのに、ある日その人のツイッタ―を覗いてみたら、誰かに対する呪いのことばみたいな悪口を延々と言い続けている。うひゃー、こんな人だったんだ! もうそれだけで、翌日からこの上司さんへの見方が変わっちゃうのでは。

だから「善い人」を目指しましょうということなんですが。確かにソーシャルメディアでは、ちょっとしたことで評判を落としやすい。
ただ現実はサイレント・マジョリティが、多数派どころか大多数だという気がします。サイレント・マジョリティは、透明じゃない。
総透明社会という言葉は、違和感があります。


それにSNSで「善い人」演出をしているうちに、本当に「善い人」になるならいいのですが、私の実体験では違います(笑)


仕事では、たとえば「Twitter広告が効果的だと思います。1年後は、わかりませんが」的な言い方をすることが多いです。今日お話するなら、「2ヵ月後には、わかりませんが」と言うでしょう(笑)

LINEが、あっという間にユーザーを失うことだって、あるかもしれません。Youtubeのアップロード数が、激減するかもしれません。スマホだって、急速に廃れるかもしれません。先日もこのブログで「これが実践的な使い方」だと書きましたが、半年後にはまったく効果がないかもしれませんし、無料のサービスですから見られなくなることだってあるかもしれません。

というぐらいに、思っておくのがいいのかもしれません。
この社会の変化するスピードは、過去とは比較になりません。歴史に学ぶことは必要でも、過去の経験に学ぶことが多いのなら、世の中もっと単純です。


ご紹介した二冊は、図らずも「過去のことは役立たないから」というところが同じ視点ですね。



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