2013年4月16日火曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」への巡礼

様々なメディアで報道されていましたが、代官山の蔦屋書店には先週金曜日の深夜、午前0時の販売開始に150人以上もの人が並んだという。
私は金曜日、9時過ぎぐらいに会社を出て、渋谷西武のあたりを通りがかった時、なんだかわからない行列を見た。あれもやはりTUTAYAなのか、あるいは別の書店なのか、村上春樹新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の販売開始待ちの人たちだったんでしょうか。



「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はかなり読んでみたいけど、発売日に行列するどころか、一週間以内には入手しようとか、そんなことはまったく思わない。だいたい村上春樹ファンとは、言いがたい。なんたって「1Q84」しか、読んでないんだから(笑)
だけど「1Q84」を読んで、完ぺきにやられた。実際に起こった事象と交錯しながら、新しい物語に引きずり込まれる感覚は、他の作家では、まず味わえない。人物の描き方も、形容しているわけじゃないのに、行為の描き方で人格が鮮明に見えて来るようなスゴさを感じた。
それでも、どうして早々に入手しようと思わないんだろう? だって小説じゃないけど、他に読んでる本があるし、それを放り出してまで読もうとは思わない。だいたい私はどんなに好きでファンでも、瞬間的に燃え上がったりしないよなぁ。
とまあ、私のことはともかく。

今まで行列までして、買ってくれる理由参加することの価値なんていう、当然も当然の記事を書いてますけど、特に音楽ではパッケージを所有するということが、あまり価値を持たれなくなって来て、参加することが付加価値になっています。じゃあ小説の世界では、どうなのか。電子書籍で発売開始だったら、参加するという付加価値がそんなになさそうですよね。

もちろんハルキストなら、すぐ読みたい。徹夜してでも、読んでしまいたいと思う人だって多いでしょう。私も「1Q84」読んでたときは、本当に困りました。
でもそこまで熱心な人たちだって、夜中の12時に並ぶでしょうか? ハイテク製品ならギークな人たちが先を競うというのは、ごく普通でしょう。でも文学好きの人たちにも、そうした傾向があるんでしょうか。



もしかして、と思って、Amazonのレビューをチェックしました。そうしたら、どうしたことか4月12日の日付で10人以上が書かれています。12日から13日に日付が変わるところで発売なので最速で4月13日付のはずですが… Amazonの日付はどうなっているんでしょう。以前は発売前にレビューを書いている人も見かけましたが、どなたも読んだ上で書かれているようです。ただ、当然のようにAmazonからの購入ではない。コメントを拝見すると、13日の朝までに55人がレビューをアップしていたようです。
ざっと見て行くと、評価が面白い。☆が1つか、5つか、みたいに極端に評価が割れています。先を競うようにレビューを書いている人がこれだけ多いということは、人より先に発信したいネタとしての村上春樹本という視点で考えてみてはどうでしょうか。

今現在もAmazonへのレビュー数は伸び続けていますが、たぶん13日中に書かれたレビューなら、かなりの人たちに読まれたはずです。なによりのポイントは、そこかもしれません。Amazonを見ると、品切れで次の入荷は4月20日予定。書かれたばかりのレビューだって、まだまだ読んでもらえる確率は高いです。
そんな数十人がレビューを書いたからって大したことないじゃん、と思われるかもしれません。たぶん24時間以内にレビューを書こうとした人は、その数倍、あるいは数十倍いるかもしれません。いずれにせよ、少なくともAmazon内ではダントツの数字ではないでしょうか。




Amazon.co.jpへのリンク


体験できる価値、参加できる価値はもちろんですが、さらに発信できて認知してもらえる価値。発信しても読んでもらえなければ、ほとんど価値はありません。ま、まあこのブログが、そうかもしれませんが(笑)
こういうことは今の文学の世界だと、芥川賞や直木賞でも、ちょっと難しい。本屋大賞は、近いかもしれません。でも村上春樹本なら、確実だと思うんです。とにかく売れることが確実なわけですし。


「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、発売まで完全に情報を遮断するハングリーマーケティングだと大学の先生がテレビの取材でおっしゃっていましたが、それはもちろん、そうでしょう。
行列までして、買ってくれる理由で書いたのは、大ブランド以外のこと。“私だけが知ってるというのが初期のファン作りには必要だし、そのあとも「私たちだけが知ってるコアな情報の共有」でつながることが必須なんだと思います。” と書きました。
村上春樹さんは大ブランド。誰もが知ってる。でも発売が深夜で、そこから24時間以内ぐらいなら「私だけが読んで、私だけがレビューした」という時間軸での価値がある。そこに至る価値を、作家と出版社が生みだしたと言えるんじゃないでしょうか。



普遍的な価値を持つのが文学や芸術なのに、そんな仕掛けられた売り方でいいのかという声もありそうです。発売時に話題にならなければ、売ること自体がどんどん難しくなっている時代だと、でも私は思うんです。熱心なファンが図書館で借りてくれても、作者としてはうれしいでしょうけど、あまり収入にはならない。
いや、図書館の中ですら、どうでしょう。どんなジャンルのコンテンツだってそうですけど、仮に毎年の出版点数が減ったところで、古典から海外作品から何から、膨大な作品群と競争して選ばれなきゃいけない。

音楽CDでは、かなり以前から、過去の名盤を同じ音源のままパッケージを簡単にした廉価版で、ちょっとしたキャンペーンにする手法が定着しているようです。
新作は、そんなわけにはいかないので、発売時に最大瞬間風速になるようにしなければ、売ることは難しいのではないでしょうか。




最近、あるクライアントから、こんな話がありました。メルマガ会員がこれだけ獲得できたのだから、極端な話、メルマガだけでプロモーションしてもいいのではと。
いやいや違います。メルマガ会員だけなら閉じた世界。世の中で、話題になっているという状況がなければ、ファンだって、だんだん買わなくなりますと私は答えたんですが。世の中とは世間一般とかテレビに取り上げられるということではなくても、Amazonでレビューがいっぱい書かれることだって話題なんです。
浮気しないファンなんていませんし、ファンだって忘れちゃうこともある。記憶や想いを強化してくれるのは、周囲の状況。狭い世界でしか知られてないけど、ファンであること自体がアイデンティティになるような強力なブランドならいいでしょうけどね。
たぶん基準は、画像を待ち受けにとか、Twitterの背景画面にしてもらえるとか、そんなレベル。


え〜っと、こんなネタがあります。
Hey!Say!JUMPパーティー応募目当てでバーモントカレーがバカ売れ / 余ったカレーをヤフオクで捨て値で出品するユーザーも」というロケットニュースの記事。

“バーモントカレーも今年で発売50周年。それを記念して、商品のバーコードを集めて応募すると、抽選でジャニーズの『Hey!Say!JUMP』のプレミアムランチパーティー招待券がもらえる企画を行ったところカレーがバカ売れ! バーコード目当てで買ったユーザーがヤフオクで残ったカレーを激安価格で出品するという事態になっている”そうです。

まさにファンであることがアイデンティティになるような強力なブランドですし、「私だけが経験して、私だけが発信した」みたいなことも備えているわけですね。Hey!Say!JUMPに会えるだけじゃなく、ランチパーティーなんだから、その場にいるファン同士で連帯できる。後々も、参加できなかった人たちとも共有できる。
もうひとつ。これをしている人たちは、お金の使い方を完全に自己裁量でやれる立場だということでしょう。うらやましいです(笑)




巡礼という言葉には、観光という意味合いも強く含まれているといいます。観光になるには、まず希少性がないとダメですよね。





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