先日、こんな話を聞きました。ある通販番組に出演されている女性は、ピンク色の服を着られている。その理由は、視聴者を冷静にさせないためだと。冷静にさせないというと語弊があるけど、買い物をする時って、誰しもそれなりにテンションがあがっているだろうし、あがらなきゃ買わないでしょう。そういう意味では、とても理解できます。
今朝、通勤電車の中で、たまたま雑誌『GLAMOROUS』の中吊りを見ました。ピンクが印象的です。
zassi netより
ピンク、黒、そしてメタルカラーのゴールド。けっこうモードな感じで、強い。ピンクはたぶん、ローズピンクと呼ばれるような色で、それほど激しいものではないと思います。
その二、三日前に「週刊女性」の中吊りを見てたら、これがもう、ショッキングピンクからチェリーピンク、サーモンピンク、さらにはマゼンタ100ぐらいまでさまざまなピンクを使ってた。他の色は、黒と薄い黄色だったと思います。わ〜っとテンション上げて、ベチャクチャしゃべりまくってる感じがしました。
色彩心理学などでは、ピンクは興奮を落ち着かせるとされていたと思いますが、一般的に日本では性的なニュアンスで語られることが多い。女性性を現すイメージとしてはその通りだけど、それでも他の色との組み合わせ次第だし、どんなピンクかということに左右される。肌色に近いピンクになると、単純に健康的な印象になるでしょう。
あ、もしかするとピンクって、暖色に寒色が入っている割合が強いほど、怪しさを増して、人を興奮状態にするのかもしれない。マゼンタにシアンを入れていくと、エグさを増す感じですもんね。
だけど色を考える時に、あんまりこの色はこういう効果があるからと考えても、さほど意味がないように思うんです。
以前、テレビ番組でデリバリーピザのメニューについて、主婦の皆さんに意見を聞いている特集がありました。私は偶然その番組を見ていて驚いたんですが、うちがやらせていただいたドミノ・ピザさんのメニューや、競合他社のものを比較されていました。
視聴者には、だんとつでうちのやらせていただいたメニューが「おいしそうだ」と評価されていました。
その理由について、カラーコーディネーターの方に意見を求めていたのですが、「赤や黄、オレンジなどの暖色系の色を使っているので、美味しく見えるんです」とおっしゃっていました。私は目が点になって(笑)
そりゃあもちろん、食卓の照明だって白熱灯を使うと、料理をおいしく見せてくれる。赤を鮮やかに、また陰影をつけてくれるので立体感が出て、食欲をそそるんですね。そんなことは常識で。だけど印刷するデザインとして、どうやっておいしそうに見せるかというと、まず写真をどう撮るかが最も重要。使う色も暖色系ならいいってもんじゃなくて、濃淡だってあるし、CMYKのべた塗りがいいのか、テクスチャーがあった方がいいのかといえば、その商品によるわけですし。高級なフレンチなら、単純にトリコロールを使ったりはしないでしょう。メキシコ料理なら、多少はくすんだ色の組み合わせが、それっぽいでしょうし。それぞれ、おいしそうに見える条件は違います。
デリバリーものになると、これでもかというほどの情報量になりますが、空間・余白をどう取るかとかと繊細なところにも神経を配らないと、文字が単なる色の模様になって、ノイズになってしまいます。
難しいことを言わせてもらえば、ジェームス・ギブソンの提起した「環境の持つ形、色、材質などの属性が、その環境自身をどのように取り扱ったよいかについてのメッセージを発している」というアフォーダンス理論。この理論では、視覚は静止していても動いていても、光学的変化として空間をつくる物体の肌理(キメ)を捉えている。キメを捉える働きにより、距離を測り衝突を避けたり、熱い過ぎるものや危険な形状のものから遠ざかったする。逆に柔らかく、暖かく、心地いいものには接近を許し、知覚システムとして空気の振動や匂い、体温との温度差、踏んだときの硬さ、触れたときの柔らかさを捉えているといいます。
ちょっと強引に言えば、動物性の食べものなら温かそうで、静止しているよりも少しは動的に見える写真がいいのかもしれません。周囲に使う色も同様に温かそうで、べた塗りよりは質感とともに表現された色の方がいいのかもしれません。接近を許してもらえる心地よさが、必要なのではないでしょうか。
もっとくだけたところでは、『青い象のことだけは考えないで!』という本の中に、「赤と緑とリンゴジュースの実験」という話が出てきます。私たちは、お菓子や飲み物、シロップなどは、その色と結びついた味がすると思い込んでいる。だから赤い色がついているだけの液体を、イチゴ味やチェリー味がすると考えてしまうという結論。
それはもう実験するまでもなく、そういうことなんでしょうね。無防備ですけど。
また『狂言サイボーグ』という野村萬斎さんの本には、「電光掲示板狂言」というものを公演された時の話が出てきます。電光掲示板に人格を持たせ、ケイジくんと名付け、難解なセリフを説明したり、時には直接観客に語りかけ、盛り上げたりされたんだそうです。
「柿山伏」という演目では、文字の「柿」を電光掲示板にたくさん表示させ、それを演者がもいで食べるという演出。
「柿」の文字はオレンジ色で出てくるが、ひとつだけわざと緑色の「柿」を仕込んでおいた。それを演者が食べると「渋柿」だったという遊びもやってみた。オレンジ色で流していると観客は安心しているが、緑だと「いかにも渋いんじゃないか」「まだ熟していない」というイメージが付加価値として加わることになる。これは狂言の型につながる発想である。と書かれています。
型、つまり季語とかと同じ記号、お約束ですね。それで多くの人が、ある重なるイメージを持ってくれる。ただ残念ながら、狂言のように観客が“観る”という構えになっている場合には、強力に伝わる記号、お約束かもしれません。
普通は無機的な記号に対して、“観る”という構えになってくれることは、まずありません。
ただ緑が渋い、熟していないというイメージは、多くの人に伝わるのではないでしょうか。それはきっと、血や肉、体温など生命と関わるプリミティブなイメージだからかもしれません。
グラフィックのデザインでも、ウェブの色使いでも、ほぼ普遍的でプリミティブな記号を使いながら、時代やオーディエンスの状況に応じた演出としてキメの質感。色を考える時には、そんな思考も必要なのではと思います。
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